加川良さん死去 不朽の名曲「教訓Ⅰ」と直筆メッセージを公開

フォーク歌手・加川良さん死去 急性白血病で昨年12月から入院

「教訓1」などで知られ、日本フォーク界の先駆け的存在だったフォーク歌手加川良さんが5日都内の病院で亡くなられました。

急性白血病のため昨年12月から入院しており4、カ月の闘病生活の末、息を引き取った。

若い方はご存知ないかもしれませんが、1970年代のフォーク界を代表する加川良さんについて、名曲と直筆メッセージと共に紹介させていただきます。

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加川良プロフィール


加川良.jpg
本名   小斉 喜弘
生誕   1947年11月21日
出身地  滋賀県彦根市
死没   2017年4月5日(満69歳没)
ジャンル フォークソング
活動期間 1970年 - 2017年
公式HP  http://www5f.biglobe.ne.jp/~twins/

芸名の由来は、加山雄三の「加」、長谷川一夫の「川」、池部良の「良」をゴロ合わせと言われています。
長男も音楽活動をしており、ミュージシャンのgnkosai(本名・小斎元希)。

【略歴】
1970年代、アート音楽出版(URCの版権管理会社)に入社。

高田渡、岩井宏、岡林信康、高石ともやらに影響を受けてでフォーク・ソングを唄い始める。

1970年の第2回中津川フォークジャンボリーでは飛び入りで「教訓I」を発表し、時の人となる。

アルバム『教訓』(1971年)でデビュー。

「こがらし・えれじい」「偶成」を含む『親愛なるQに捧ぐ』(1972年)、中川イサトとのライヴアルバム『やぁ。』(1973年)を続け様に発表。

また1972年、吉田拓郎の代表作『元気です。』に「加川良の手紙」(作詞・加川良、作曲・吉田拓郎)という曲が収録される。

1974年ベルウッドから名曲『アウト・オブ・マインド』を発表。

1975年中川イサトの神戸市長田区でのオムニバスライヴ『鼻歌とお月さん』のレコーディングにおいて、いとうたかお・大塚まさじ・金森幸介・シバ・西岡恭蔵・長田タコヤキ和承らと参加する。

その後も石田長生らをバックに従えた『南行きハイウェイ』(1976年)レイジー・ヒップとの『駒沢あたりで』(1978年オレンジレコード)を発表する。

1990年代『ONE』、『2』を発表する。

岡林信康が一線から退いたのち、吉田拓郎と並んで“どちらがBIGになるのか”といわれた時期があったが、拓郎ほどの一般大衆的人気を得ることはなかった。

現在では吉田拓郎の曲「加川良の手紙」で取り上げられた人物として知られる。

拓郎がポップに変わっていくのとは正反対に、ストイックに自らの音楽に忠実に、お金にならない歌を歌い続けたのが理由といわれる。

「教訓I」の歌詞は、当時、大阪・梅田の地下街で手売りされていたガリ版刷りの文集を参考に作られた。

この歌詞の内容は発表から40年以上を経て発生した福島第一原子力発電所事故(2011年)や集団的自衛権の行使問題(2014年)に対してもメッセージになると加川良本人は考えており、そのため「歌うたんびに新曲だと思えるんです」とも語っている。

2016年12月14日に入院し、翌15日に急性骨髄性白血病と診断され闘病中とフェイスブックで公表している。

2017年4月5日午前9時39分、都内の病院で死去。

69歳没。

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加川良さん直筆メッセージ


昨年末入院中に、「検査入院、少々つかれ気味でした。本日6日目、今しばらくの入院生活となりそうです」と直筆メッセージで伝えていた。

直筆メッセージ.JPG

この当時は、検査入院との事だったようですね。

「みらい」という言葉に込められたメッセージが心に刺さりますね。



加川良さん名曲「教訓Ⅰ」


長く愛され続ける名曲「教訓Ⅰ」です。

ぜひ若い方も聞いていただいて、こんな時代があったのだとかみ締めて欲しい。

フォークという言葉ではなく、加川良という愚直でまっすぐで不器用な男の渾身の名曲です。

現在の50代以上の方は必ず耳にし、時に涙した曲です。

今後も日本の語り継がれるべき一曲ですので、是非ご視聴ください。

「教訓Ⅰ」



こちらも名曲です。

もはや説明は必要ないと思います。

「戦争しましょう」


加川良さんのご冥福をお祈りいたします。



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